もバンドーの落書き帳

もバンドーの日記みたいなもんです

『性交承諾書』を印刷する日

こんにちは,もバンドーです.

 

先日,ジャーナリストの伊藤詩織氏が元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして損害賠償を求めた訴訟の判決が出たニュースへの反応として,某区議会委員が『性交承諾書』なる書類のフォーマットを公開したという件が炎上しているのを知りました.

 

 

 「女性に対する侮辱」や「合意書を交わさないと訴えられる可能性がある性交渉を持つこと自体がダメ」「セカンドレイプだ」という批判が大多数なのですが,中には「酒を飲ませて騙しせサインさせたり,脅迫して書かせてた場合はどうなるんだ」「そもそもフォーマットが間違っている」などの一種の”契約書”として見る意見もありました.

私のTLでは「逆に興奮する」とか『奴隷承諾書』なるフォーマットを嬉々として作るちょっとヤバいツイートの方が伸びていて反響も多かったんですが....(むしろそっちから話題を知った)

 

 

この判決が「恋をして結婚したい男女にとって最悪」という意見については理解不能ですし,「少子化を促進する」というのは「避妊具が無ければ少子化は起らない」並みの愚論だと思います.しかし『性交承諾書』という概念については「どうして今まで存在しなかったのか,合っても良いんじゃないか」と考えさせらたので,私の意見をまとめておこうと思います.

※以下は事件・裁判の内容を一切見ずに「性交承諾書」という言葉だけ見て書いてます.

 

私は人間が行動する前に必ず損得の計算を行い,その応答が自分にとって利益が多い場合は行動し,損失が多いと考えた場合には行動しないと考えています.「この行動をした結果最終的に損をするだろう」と考えたうえで実行に移す人間はいないでしょう.

それでも予想外の事態が発生し結果として損をしてしまうことがあります.人間が物に対して何かをした場合は,この空間における*絶対的な法則に基づいた応答が返ってくるため,自分の知識不足や損得計算の能力不足が”予想外”の本質です.

*量子力学の話とか分からないんで突っ込まないでください(´;ω;`)

 

 

しかし,人間が人間に対して何か行動をするときには物に対する場合とは異なり,自分の知識不足や損得計算の能力不足以外に『相手の持つ人間性が原因の不確実さ』による”予想外”の応答が返ってくることがあります.そもそも人間は感情や精神によって大きく左右されるものなので当たり前ですよね.

「相手の不確実さが原因で予想外の応答が返ってきて損をする」なんて困ります.そこで,自分が見過ごすことのできない損失をする可能性がある場合は互いに求める応答を提示し合い,必要に応じて罰則をによって縛ることで,人間性を本質とする”予想外”に保険を掛るわけです.

この「予想外による損失を防ぐために予め求める応答を提示し合い,合意のうえで行動する」という関係に*法的な拘束力を持たせたものが「契約」ですよね.

*法律について特に詳しい訳でもないのに”法的拘束力”とか言っちゃってるんで,間違ってたら教えてください(´;ω;`) 「口約束も契約」という話もあるし大まかには間違っていないですよね....?

 

 

そしてその合意した内容に不満を持った場合,裁判を起こして契約そのものの有効性を争うわけです.契約においてサインをした書類を双方に残すことは,双方が合意した応答自体に問題がなかったか・一方が勝手に後から変更していないかを後から第三者が検証し,客観的な判断をするための材料の一つといえます.

 

 

ここで話を性交合意書に戻しましょう.

性交は一人でできるものではないので,必ず複数の人が関わりあって行われるもので,先ほどの理論からいくと*契約が生じるはずです.

*法的拘束力の無い契約関係を”契約”って言っちゃってますが,ほかに良い言葉が思いつきませんでした.

そもそも性行為の目的は本来「子供を作る」事のはずなのですが,「避妊」「望まぬ妊娠」という言葉があったり妊娠する可能性が低い日を「安全日」と呼称するなど,世の中には*生殖を目的としないセックスが存在します.

*このような生殖することを目的としないセックスの事を何と呼ぶのか知ってる方がいらしたら教えてください.

生殖を目的としないセックスという”行為”の目的は様々あると思いますが,行為そのものを罰する法律は無いですよね.その他の行動と同じように,性交という行為に目的があり,”予想外”の損失が看過できないものであれば,不服があった際に第三者による客観的な判断を仰ぐ際の材料として「契約書」を交わすことは当たり前のことではないか,と考えました.

この理屈で「合意のない性交渉は全てレイプである」という言葉を解釈すると,「契約の無いセックスは自慰と同じ」となります.

 

つまり生殖を目的としない性交を”契約”という形に落とし込むこと,「性交契約書」を交わすことは互いの権利や尊厳を見つめ直すきっかけになるのではないか,という主張です.

 

また,性交の本来の目的である生殖という考え風に当てはめると,自己中心的なセックスにより”不服”という名の望まぬ子を妊娠してしまう悲劇への一種の”避妊具”としての効果があるのではないか?と思うのです.

 

 

 

 

 

ーーーーと,法律に詳しい方からツッコミを言われてしまいそうな事を書いてしまいました.正直「契約に罰則を書き入れちゃって良いのか」とか「個々の関係に国が介入するような意見はどうなんだ」とか自分でもツッコミどころ満載感をひしひしと感じています(;^ω^)

 

本音を言うと,何でもかんでも契約書に残さないと安心できない世の中にはなってほしくないですし,制度として実現可能だとも思えません.また,『性交承諾書』には行為の目的が書かれてなかったり,署名・押捺欄が一つしか無かったりと契約書というより権利放棄書という印象を受け,あまり共感できないです.

でも『負の性欲』といった概念と同様,性差という絶望的で埋められない差を持つ人間が平等について考えるきっかけの一つにもなりえるのではないかなと感じ,炎上騒ぎとして消えてしまうには惜しいと感じました.

 

 

ここまで読んでくださり,ありがとうございました.